小野坂峠  147m (2004.1.24)

岐阜県揖斐川町小野−谷汲村深坂
揖斐川町小野と谷汲村深坂との間にある谷汲巡礼街道の峠である。

小野側の九十九折れの道とトンネルは何度も通ったが、最近までここが由緒ある街道の峠だとは知らなかった。岐阜県教育委員会が出している「歴史の道調査報告書 第1集」にこの「谷汲巡礼街道」が載っていたのだ。


谷汲巡礼街道は中山道赤坂宿
(現大垣市)起点とし、西国33番霊場谷汲山華厳寺(淀坂峠に写真あり)に至る道である。その道筋は赤坂から池田町市橋、八幡、六之井、砂畑と来て、揖斐川町島、志津山、小野、谷汲村徳積を経て華厳寺に至るものであったらしい。
従是谷汲道国道分岐点



ということで、とりあえず揖斐川町の国道303号線から探索を開始した。志津山への分岐点には小さな石の道標が立っていて「従是谷汲道」と刻まれている。旧道に入ってすぐの所には馬頭観音や地蔵尊などが祀られていた。
国道303号線との分岐点(左側へ入る) 谷汲巡礼街道


山際に沿いながら真っ直ぐ道をとる。志津山の集落を過ぎ、小野へ向かう道筋では峠の鞍部が遠望できる。小野は集落ごと傾斜地に立地していて、トンネルへ行く車道との交差点には大きな道標が立っていた。
小野の集落と峠を遠望(右側が街道) 小野の道標


トンネルの車道に入り、九十九折れのヘアピンカーブにかかるところに自性院がある。旧街道はその脇を真っ直ぐ登っていく。お寺を過ぎると、2m弱の山道になる。急坂だが、石垣や名号碑もあって、歴史を感じさせる。
自性院(街道は右の小道へ) 石垣と名号碑




この名号碑から横へ辿ると小野坂トンネルに出られる。しかし旧道が見つからない。名号碑から急坂の竹林を直登してみると、凹んだ道が見つかった。スイッチバックしながら勾配を稼いでいたのだが、木々が繁茂していて、わからなかったのだ。そこから先も倒木や草木の繁茂はあるものの意外と広めの道が何度もスイッチバックしながら続いていた。このあたり、「歴史の道調査報告書」によると石畳が残っているらしいが、見つけられなかった。
小野坂トンネル(揖斐川町側) スイッチバックの山道



小野坂峠 何度目かのカーブを曲がって、左へ道がトラバースしていくと、林道に出た。右を見るとV字に切り込まれた空間が開けていた。

地蔵とか石碑とか街道を思わせるものが何もないので疑ってかかったが、地形的にも麓から確認できた大木があることからも、ここが峠に間違いなかった。
小野坂峠




谷汲側へ抜けてみると、そこは山土採取場の頂上らしく、ネットを張った広場だった。これでは街道気分まるつぶれである。谷汲側へはこの林道を下りれば楽勝である。旧道がないか気を付けて下っていった。
谷汲側 谷汲村深坂地内(採取場も見える)




林道はクネクネしながら下っていく。麓近くに嘉永6年建立という馬頭観音さんがあった。そしてその先にはトンネルから下りてきた車道が待っていた。
馬頭観音 深坂分岐




トンネルへと戻り、揖斐川町側へ出る。トンネルから少し下りたところに峠で出くわした林道分岐があった。揖斐川町側は草木が繁茂していたので谷汲側ほど簡単には辿れないだろうが、選択枝のひとつだろうな。
小野坂トンネル(谷汲側) 林道分岐(揖斐川町側)




峠の探索が終わったので、ついでに国道303号線から揖斐川までの探索を行った。国道から長良地内でまた分岐して、島地区へと道を辿る。島地区は揖斐川の渡船場があり、谷汲詣での前泊・後泊地として宿屋が多かったという。写真の常夜灯は船着き場の印となっていたようだ。
長良地内? 島の常夜灯(渡し場付近?)