小野谷峠 640m (1973.12.2、2004.4.25)  地図 2.5万図

京都府京都市左京区大布施−左京区大見
大布施と大見の集落を結ぶ峠である。初回は2回生のとき、サヨナラサイクで通ったらしい。大原から前ヶ畑峠、大見経由で小野谷峠を越え、花脊峠経由で帰ったらしいが、さっぱり覚えていない。今回は八丁平から下りてきて、大布施にデポした車へ戻るために通ったのである。

この峠、安曇川源流部、大見側の高層湿原に桂川の支流、小野谷が食い込んでいく片峠地形になっている。だから大見からはあまり登らないが、小野谷は急傾斜になっている。
分岐点(15:24)


石仏のある分岐点から小野谷峠方向へ入る。打ち捨てられた畦道といった風情の柔らかい道を行く。周りはだんだん高層湿原の様相を呈してくる。殆ど登ってないという予想に反してなかなか峠に着かない。



最後は雑木林風の林の中を緩く登って峠に到達。峠の標柱はあるにはあったが、朽ちて地面に転がっていた。
小野谷峠(15:49)



峠からの下りは・・・凄まじいの一語に尽きる。
急傾斜なうえにかなり下まで山道のまま、しかも崩壊しまくっている。所々にある丸木橋は腐敗が進み、耐久性に問題あるものばかり。私が渡れたから大丈夫と思っていたら、後ろで「バキッ!」「ギャーッ」、腐った橋の餌食になった方がいた(~_~) 幸い少し落ちただけで済んだが、自転車が頭から降ってきたそうである。
急傾斜(15:56) 崩壊しまくってる道(15:58)


そうこうするうち、わさびの研究施設だか何だかわからない廃施設のところで、やっと林道に出られた。
やっと林道に出られた(16:18)



もう少し下に降りた地点にあった看板には
「ハイカーのみなさん、小野谷峠経由(大見・尾越方面)こちらです」
と書いてある。あの整備状況でこんな看板出すのんか?
「ええかげんにせいや」
おとぼけ看板(16:30)


最後に・・・
この小野谷峠、640mの峠に対し、大見は610m、大布施の標高が380mと殆ど方峠状態である。ではこの両集落の環境はというと、大布施は花脊峠の先にある集落。大見は北山の中でも豪雪地域に属する集落。そしてどちらも若狭街道が通るが、別のルート上にある。

大布施と大見を結ぶ峠の必要性は良くわからないが、地域的に大見から道が造られたのなら大布施峠と命名されても不思議はない。しかるに小野谷という大布施側の谷の名前が付いたということは、大布施側から作られたのではないか。

峠道の開削年代も不明だが、年代が昔になるほど、道はルートの安定運用のため高所を通す。そんな時代に高所にある集落がわざわざ低地にある集落へ不安定な道を作る必要はない。よって小野谷峠は大布施側が峠の表で、大見側が峠の裏と考えられる。