縄野坂(なわのざか) 300m (2022.10.28) 地図 2.5万図

京都府京都市右京区京北(けいほく)周山町(しゅうざんちょう)中山(なかやま)-京北下町(しもちょう)森ヶ坪(もりがつぼ)
京都府京都市右京区京北周山町中山と京北下町森ヶ坪の間にある峠。
峠の標識には『明智光秀古戦場』と書いてあった。

国道162号線から峠道へ入る。
周山町中山、国道162号線からの登り口  


峠道はダートである。登り口に「久保林産」の立て看板がある。林産ではなく林道だったらなお良いのに・・・
途中、お地蔵さんの祠がある。こういうものがあるということは昔から使われていた峠道の証明だ。
その先にプレハブの建物。たぶん、これが「久保林産」の作業小屋なのだろう。

峠道はダート 「久保林産」の立て看板
 
 お地蔵さんの祠 プレハブの建物 


さらに登ると、峠らしき空間が見える。空間というよりも広場に出た。その先に枕木のような丸太を埋め込んだ道のあと、峠に到着。

峠らしき空間 空間というより広場
 
 その先に・・・ 丸太を埋め込んだ道 


峠には「明智光秀古戦場」とタイトルが付せられた峠の銘板が取り付けてあった。
ちなみに『明智光秀古戦場縄野坂』で検索してみると次のサイト『縄野坂の戦い』がヒットした。それによると

明智光秀は丹波平定のための拠点の一つとして縄野村(今の京北、周山)に周山城の築城に取りかかります.この山城を築くには大量の石材が必要でしたので京北のあちこちに石を求め、寺院などからもあらゆる手段で徴収しました.
この圧政や破壊に耐えかねた山国郷の人達は、兵を組織し山国から周山へ抜けるこの縄野坂へと進みます.ここ山国郷は昔から朝廷に仕える由緒ある土地、成り上がり者の明智などの言うことが聞けるか、とばかりに戦いを挑みますが、なにせこちらはにわかづくりの農民兵.戦国を戦い抜いている明智軍の鉄砲隊の前にはひとたまりもなく、こてんぱんに敗退しました.

というのが、縄野坂の戦いだそうだ。

縄野坂 峠の銘板
 峠
 
麓(下町森ヶ坪)が見える   


麓が見えるとはいうものの下町側は完全な山道。そして切り株だらけでルートもわかりにくい。でも所々乗れるところがある。麓近くになると傾斜が急すぎて結局押し歩きになった。

山腹をトレースする旧道 切り株だらけ
所々乗れる 麓付近では押し歩き


麓の集落で国道477号線に出る。民家の真横にズボッと出る。下町側の峠への入口はわかりにくい。

麓付近 麓の民家、国道477号線が見える
麓の峠道入口 国道477号線沿いの民家と峠道



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