茂住峠  1060m (2003.9.12) 地図 

岐阜県神岡町茂住(もずみ)−富山県大山町長棟(ながと)
茂住峠、長棟林道(峰越)の標柱 岐阜県神岡町茂住から富山県大山町長棟へ越える峠である。

ばったさんのページから引用すると
『黒川をさかのぼり桧峠を越え、さらに長棟川に沿って山深く入ると、昔 鉱山村だった長棟(廃村)へ出る。その上手に長棟峠があり、峠を下りると飛騨の佐古へ通じる。 この道は江戸時代(350年ほど前)、長棟鉱山が開けた頃に出来た道で長棟往来とも言われた。「加越能三州地理志稿」 という古書にも、長棟鉱山(カネヤマ)道として載っている。金沢の石川門、高岡の瑞龍寺総堂の鉛の屋根瓦は、この長棟鉛山の産であると言われている。峠より桧峠を越える道を長棟上道と呼び、茂住峠を越える道を長棟下道と呼ぶ。』

現在、長棟林道となっているこの峠道であるが、長棟川が神通川と合流する手前から深い谷を刻むため、平野部へは、桧峠を越えなくては出られない長大なアドベンチャールートである。
峠から東を見る


それに麓の茂住の集落から茂住峠までの標高差は790m、さらに富山の平野部からの標高差をプラスすると960mを登らなくてはならない。

これらの峠群を突破するのに国道の登り部分を鉄道に乗って逃げようと計画はしてみた。しかし距離も短く、輪行とか駐車場とか準備してるより自走した方が早いと思い、大沢野町笹津(8:10)から神岡町茂住(9:20)まで国道を自走した。

登り口は郵便局と交番の間の道である。
茂住、登り口の交番


初めは1車線の舗装路。大きく曲がりながら高度を稼いでいく。茂住の集落も見えて、気持ちよい。しかし、快適さも長くは続かなかった。
茂住の集落 


道の真ん中に草が生えだし、さらに路面もダートになったのだ。下の方は何とか乗っていくが、時々手に負えなくて押しも入る。神岡鉱業所の残骸も途中にあって、かっては産業道路だったのかと思わせる。

しかし、現在の整備状況は4WDしか通れない篤志家向きのルートとしか見えない。それだけにブナなどの自然は良く残っている。
神岡鉱業所の残骸? 


それにしてもダートが長い。標高500m付近からは殆ど押し一徹状態になってしまった。残り500m以上もあるのに大丈夫か?


押し一徹になってから、それまで全くなかった水場がちょくちょく現れるようになった。パワー勝負のこのルート、水場があるのは大変ありがたい。

途中の水場で早めの昼食をとって、さらに登っていくと、大きな屈曲を経て、峠の鞍部が見えてきた。
峠直下


来し方を振り返ると白木峰など飛越の山々が見える。うーん、やっと来たぞ(12:57)

峠には「長棟林道峰越」の標柱が立ち、白樺など自然が美しい。
茂住方向


茂住峠、長棟林道(峰越)の標柱 長棟側には名前の付いた山は見えない。峠の広場は2・3台車が置けそうだ。
峠から東を見る


少し探ってみると、峠の北側林の中にお地蔵さまを発見した。2体あって傍らには「池田○○」と彫られた石碑もある。そしてその真ん前を横切る道らしき痕跡。どうやらここがほんまもんの峠のような感じである。

峠から長棟方向へ下る。長棟峠への道を後目に桧峠方面へ。路面は相変わらずダート。橋を渡ったあたり(939mライン)で営林署の看板とゲートがあった。
お地蔵さん


「このゲートの奥22KMより事業実行上の専用林道ですから・・・通行を禁止します。・・・。無断で通行され災害等事故が発生してもその責任は一切負いません」
要するに自己責任で行け?ということだ。ここで時間は13:25。ずっと単独行で来て、少々怖じ気づいているところもあるし、時間的、体力的な不安も相当ある。しかもばったさんの所で予習をしてくるのも忘れた。

そんなわけで潔く?撤退することにした。元来た道を戻り、庵谷峠に色気を出したりして笹津の車を置いた所まで戻ると16時になっていた。いい判断だったかもしれない。

もう少し朝を早くしないとダメだな。
営林署の看板とゲート