宮峠  782m (2000.6.17、2004.6.5) 地図

岐阜県高山市一之宮町飛騨一之宮−高山市久々野町久々野
飛騨を縦貫する主要国道41号線の中央分水界峠である。

律令時代、飛騨から都へ向かう官道、東山道支路は飛騨一之宮から苅安峠・位山峠を越えて、上呂へ抜ける位山通であった。天正14年(1586年)金森長近が飛騨一之宮水無神社の裏手から宮峠を越え、益田川沿いの河内路(こうちじ)(国道41号線と同じルート)を開くと、飛騨からのメインルートは河内路を経由する宮峠通に移った。
飛騨一之宮水無神社(13:14)



飛騨一之宮の街の東端に飛騨一之宮水無神社がある。言うまでなく、飛騨の国で一番目とされる格式の高い神社だ。この門前近くに石の道標が建っている。道標には「宮峠通 位山通」と刻まれており、金森長近が河内路を開削したことによる新道(宮峠通)と旧道(位山通)の分岐点、追分けを示している。
宮峠通と位山通の道標 (642m地点)




宮峠通はこの追分けから飛騨一之宮水無神社の横を流れる宮谷沿いに進む。神社の神域を抜け、民家の脇を登っていく。道がだんだん急になり、正面にガレージのような建物が見えると、道が途切れた。
追分けから宮峠通方向(13:20) 旧道が途切れる(13:34)



「歴史の道調査報告書」によると、このあたりに石畳が残っているらしい。辺りを探索してもそれらしい遺構が見つからない。
仕方なく橋を渡った所の民家に尋ねると、
「そこそこ!」「橋の工事のときにかなりなくなっちゃったんだよね」
橋のたもとを指さして教えてくれた。
「あっ、ありますね。これが石畳ですか」
ふつうのお家のエントランスのように、ちんまりとした石畳が残っていた(~_~)
これが宮峠の石畳だ(13:43)



旧道はそのまま谷を詰めていったそうだが、それらしい道もないので、おとなしく国道に復帰することにした。振り返ると、飛騨一之宮の大パノラマが広がっていた。
旧道は右端の山際を登っている(13:49)


国道復帰地点はドライブイン高山から少し登った辺り。国道は登坂車線があったりして危ないだけ。でもドライブインあたりの大パノラマは健在だ。国道はヘアピンカーブを2度こなして標高を上げていく。峠近くに不動明王や馬頭さんが固まっている場所がある。ここの上にむかし茶店があったという。宮谷を詰めてきた旧道もここへ出てくる。峠の看板もここにある。
不動明王や馬頭さん(14:03) 宮峠(14:03)




不動明王のそばには一等水準点があった。たまにしか見つけないが何だか嬉しい。
一等水準点



さて峠下りである。とりあえず国道を下る。JAひだを過ぎた辺りに国道と反対向きに降りる道がある。旧道くさい。半信半疑ながら国道よりましだろうと、こちらを選択。少し降りると、JR高山本線のトンネル上に差し掛かった。これで旧道と確定v(^^) そのまま久々野の町へ下りていく。
旧道(14:14) 高山本線トンネル付近(14:18)



しかし、町へ入る直前で旧道は国道に吸収される。現在国道41号線は久々野町をトンネルでバイパスしているが、旧道は当然のことながら久々野町の中心部を通っていた
久々野の国道トンネル(14:30)(685m地点)