美濃市  (2004.2.21) 地図


上有知湊跡の住吉灯台と高賀街道 郡上街道の中心的な町、美濃市は関ヶ原合戦後、この地の領主となった金森長近が、長良川畔に小倉山城を築城、慶長11年(1606年)頃に現在の町割りが完成した。 そして長近は長良川に「上有知湊(こうずちみなと)」を開き、その後の経済発展の礎とした。


彼の没後元和元年(1615年)には尾張藩領となったが、「上有知湊」は船運による物資集散の拠点として、
和紙を中心とした経済活動が進み、商業都市として繁栄した。

明治44年(1911年)、それまでの地名「上有知町(こうずち)」を、美濃紙にちなんで「美濃町」と改名、その後市政を施行し、現在に至っている。

上有知湊跡の住吉灯台と高賀街道 美濃橋(国の重要文化財


その繁栄の名残は町の中心部、東西方向の二筋の街路(一番町通、二番町通)と、南北方向の四筋の横町に残っている。

江戸時代に築かれたこの町は、地域性豊かな意匠や造形をもった伝統的な建造物が残り、美濃市重要伝統的建造物群保存地区となっている。そして火災の類焼を防ぐ「卯建(うだつ)」があがる街並みとして観光スポットになっている。

卯建(うだつ)のあがる街並み


「卯建(うだつ)はもともと火災の類焼を防ぐ構造物の名前だったわけだが、これを設置できるのは相当の資産家に限られていた。

そこから金儲けや出世できない人を「うだつがあがらない」と云うようになったという。
卯建(うだつ) 銀行も街並みに協力

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