道谷峠 522m  (2004.6.30)  地図 

岐阜県郡上市大和町小間見(こまみ)−大和町大間見(おおまみ)
郡上市大和町小間見と大間見の間にある峠である。

白川街道の峠探索のために昭和42年9月30日発行の5万図「白鳥」(新しいのを買ってない)を見ていたら
「あらら!こんな所に峠が」
と偶然発見した。ちなみに現在の地図では峠道は記載されていても峠名は抹消されてしまっていて、2.5万図でさえ名無しなのである。
昭和42年9月30日発行の5万図「白鳥」



大和町剣の道の駅「古今伝授の里」にキャンちゃんをデポ。県道317号線、通称「やまびこロード」を走りだす。元学校跡にできた「古今伝授の里、大和ふれあいの家」がある交差点を右折し、大間見川の支流である小間見川の谷へ入る。5kmにわたる小間見川全水域は国の天然記念物、オオサンショウウオの生息地になっている。
道の駅「古今伝授の里」(7:56) 「古今伝授の里、大和ふれあいの家」がある交差点(8:03)



小間見川の谷を遡る。さすがオオサンショウウオの生息地。堰堤には必ず階段状の魚道がついている。心宗寺と諏訪神社の前を通り、程良い距離を走った頃、左手の山が低くなり、分岐が現れた(4.6km地点)。地形的にも間違いなさそうなのだが、ここだという確信にまでは至らなかったので、折良く歩いてきた中年女性に尋ねた。
「この道、大間見に行けますか?」
「行けますよ」
こういうときは、通行手形かタブレットを貰ったような気分だ\(^_^)/
魚道 分岐を左へ(8:27)



峠道はご婦人が出てきた集落から山を巻いて登るようだ。ところが小集落のはずれで、よもやのダートが現れた。路傍にはユンボが鎮座し、路面の土も生々しい。嫌な予感はしたが、とりあえず綺麗そうである。おまけにご婦人のお墨付きまで貰っているからには行かずばなるまい・・・

雨上がりで道は柔らかく、整備した後に雨が降ったような荒れ方だった。意外に表土の流出が少ないのは、道の途中にマウンドを設けて雨水を谷へ逃す工夫がしてあるためだろう。上の方では草付き道になった。
よもやのダート出現 草付き道




そんな道を行くこと15分ほどで峠に着いた。峠は自然の鞍部を少し切り通したようで、大間見側に広場があって、ちんまりとしたお地蔵さんと屋根付きの物置きがあった。
(8:48) (物置きと祠)




このお地蔵さん、とっても可愛いく、小さな祠の三方の壁に有り難い?注釈が記してあった。
『釈迦牟尼如来の付度を受けて
この世に出し地蔵尊
地獄の責め苦を代わりに受けて

飢えに苦しむ餓鬼共救う
あわれ畜生導き給い
わきめ集う阿修羅をさとす
生死に迷う人間助け

清浄世界の天人を慶す
南無地蔵願王尊合掌礼拝
此の世しわあせにみつ』
ちんまりとした、お地蔵さん
書き写すのが大変だったが、わかりにくい字を読み解くのはけっこう面白かった。



熱中してえらく時間をとったような気がした。さあ、下ろう。
下りも登りと変わらないくらいやわい道だった。おまけに谷が小規模に崩れ、流れ出た泥と木材が道を覆っている。覆っている土砂に足を踏み入れると「ズブズブ」靴の半分がめりこんだ。慌てて倒木の上を辿った。こういうときは自転車が杖代わりになってくれるので助かる。


なんだあれは!


土砂崩れだ!(9:14)
何とか渡れた(´ヘ`;)



崩落地点を過ぎると、木々がとぎれて麓の集落が見えた。こういうアクシデントっぽい道ではさすがに嬉しい。麓が見えた地点からまた森に入り、すぐに分岐が現れた。降りていく場合は簡単だが、登るときはわかりにくい。この分岐、峠へは左折するんだよ。
麓の集落が見えた(9:19) 分岐



麓の集落まで降りてホッとした途端、大変なことに気がついた。ジャージの背中ポケットに入れておいた地図や「歴史の道調査報告書」のコピーなどをごっそり落としていた。峠道に入る前には確認してるので、峠道の楽しさと崩落シーンに紛れて気がつかなかったようだ。あの道を登り返して探しに行くより、ここはごめんなさいだな m(_._)m
麓の集落(9:26)