旧細尾峠 735m (2003.11.2) 地図

富山県平村梨谷−城端町上田(人喰谷)


城端から上田を通り、道谷・梨谷とを結ぶ峠である。

五箇山と城端を結ぶ峠で一番使われていた朴峠道は牛方の道とも言われていた。明治20年にその朴峠道に変わって開発されたのがこの旧細尾峠である。明治になって塩硝に変わり、養蚕など物資の大量輸送の必要に迫られ、馬が通行できる道を作ったもので、城端側は雪崩の危険性の少ない尾根道であったという。

鹿熊峠登り口から旧国道を登る。峠のトンネルに近づいた辺りに旧細尾峠への案内標識がひっそりと立てられている。車道から見ると「これが道?」と驚くほど傾斜は急で、木々も垂れていて、突入をためらうほどである。
旧細尾峠登り口(梨谷側)


道はすぐに狭い谷間の道になる。細い流れと共存するような道筋なので、足を目一杯にひろげ、濡れないように開脚しながら登る。次に出てきたのが石造りの階段。あまりに人工的な造作に思わずのけぞってしまった。さすがに明治時代となると作る物も違うわい。
狭い谷間の道


12分も登ると峠に着いた。峠は自然にできた鞍部で、「細尾峠」の道標、「旧五箇山街道細尾峠旧道」の道標や細尾峠の略歴プレートなどが落ちていた。2001年12月に村の指定文化財として通行不能の峠道を伐開整備し、道標を設置したのだそうだ。しかしたった2年で、道標が散乱するほど整備が行き届かないようでは先行き不安である。
旧細尾峠


城端側は案の定、草木のリベンジが始まっている。特に旧国道近くまで下りてくるとどこから車道に下りていいか躊躇するほど生い茂っている。最後は無理矢理ずり落ちたものの、道標や箱モノ立てるだけが役所仕事ではない。維持管理も含めた細かい見直しが大切なんだな。自分自身も仕事を振り返って ハンセイ☆ ̄(_._)

谷側に明治の「郵便物交換所」の案内看板が立っている。当時郵便物を背負って運んだ人達は逓送隊と呼ばれ、雪道の確保に大きな役割をはたしたという。旧細尾峠は昭和2年にトンネルができ、昭和45年に郵便逓送隊の廃止とともに廃道化した。
旧細尾峠登り口(城端側)



現在、城端側はできた当時と違い、袴越林道でアクセスするようになっている。この林道は国道304号線、五箇山トンネルの脇から人喰谷をトラバース、旧細尾峠、細峠トンネルの前、小瀬峠の下を経由し、袴越峠(新小瀬峠)を越えて、五箇山の小瀬へと下る。
袴越林道(五箇山トンネルの人喰谷付近)