旧北陸本線(敦賀−今庄)  (1998.12.6)  1999.1.2 更新


                       【真っ暗な山中トンネル】

【プロローグ】

北陸トンネルによって廃線になった敦賀−杉津−今庄間の旧北陸本線跡は通られた方も多いと思います。4年前?にTVでドン・キホーテ隊が通ったのを見て私も行く気になりました。しかし決行しようと思った96年11月、この区間の旧北陸本線跡はトンネルの強度調査のため長い眠りに入っていたのであります。

98年11月。そういえばそろそろ凍結期間が明けるのではないかと思い出したので敦賀の土木事務所に問い合わせてみたところ、10月から通れるようになったとの回答が得られました。しかし年内は北陸電力の調査があって日曜・祝日のみ通行可とのことで12月6日の日曜日に愚息、小鉄っちゃんを引き連れて探索することにしました。

    

【本編】

敦賀市郊外北陸トンネルの入り口付近に車を置き10時に予定通り出発。

この辺りが深山信号所跡らしいが遺跡の代わりに工事中の片側交互通行の信号が点滅していた(^^;)道は北陸道に沿って木の芽川を遡っていく。「廃鉄は遺構などを探して行くから止まってばかりいるので峠越えでもきつくないよ。」併走する小鉄っちゃんに声をかけるうちに樫曲の集落の入り口に橋が現れる。「やっぱ、ガーダー橋やね」「ただ色がアイボリーっぽいから、ちょっと異質な感じがする」などと、ヲタクっぽい会話が始まりだした。
山が深まってくるとテキストに書いてある上りのみのトンネルが2つ現れる。煉瓦造りで雰囲気良。しかしトンネルを出たところで舗装の改修工事中なのは興ざめだった。北陸道の下をくぐると新保駅跡(獺河内:ウソゴウチ)。スイッチバックもあったらしく駅の記念碑には構内図まではめ込んである。橋は相変わらずアイボリーのガーダー橋だった。
葉原の集落付近はゆったりとしたカーブを描いて山裾を登っていく。小学校の手前付近を走っていると「あっ!レール」山の斜面に断続的にレールが突き刺してあるのだった。土止めに使われたのだろうか?赤錆びた断面からは何も読みとることはできなかった。

「右新保、木の芽峠」の標識に少々そそられながらも真っ直ぐ伸びる狭い道を進む。かっての撮影名所、葉原の大カーブである。盛り土もそのままで一気に葉原トンネルまで登っていく。右上に北陸道上り線、田圃を隔てた反対の山の斜面に北陸道下り線を見ながら「廃線跡はいいわ。勾配25パーミルの鉄道の難所といっても2.5%にすぎないからね。」「ほんと、楽勝・楽勝」心配していた小鉄っちゃんも傾斜については眼中にないようである。
葉原トンネルは入り口に信号があって5分間隔の交互通行になっている。トンネル内部は天井にだけ灯りがあって974mであるため12km弱で走ればクリア出来るはずである。ところが出口付近で対向車が向かってきた。壁に貼り付いてやり過ごしたものの「あいつズルしやがった」「こちらのライトが貧弱なので見えなかったのかなあ?」いずれにしても単線トンネルの対向車は怖いのである。
トンネルを出ると北陸道のフェンス越しに敦賀湾が見える。今日は天気も良いし記念撮影をした。ところが次の次の曽路地谷トンネルは軽くカーブしていて長さも500mほどあるのに照明がない(;_;)これに備えてバッテリーライトも2灯用意してきたけれどダイナモライトほど明るくない。そして道の端まで照らさないのでいつ側壁に激突するかわからず生きた心地がしなかった。ヘッドランプも持って行かねばと話していたのにいざとなると忘れるんだからなあ(--;)しかしこれはまだほんの序の口なのだ。
北陸道の杉津PAは海を見下ろせる私の好きな場所だが上り線のPAの位置にかつての杉津駅があったそうだ。PAからは北陸道とも離れ、再び25の登り勾配が続く。そしてトンネルも断続的に現れる。

やはりトンネル内は真っ暗(;_;) また対向車が来たものの今度は周りを照らしてくれるので歓迎である。車と離合するべく急停止すると「わあ、急に止まらないでよ」暗闇の中を追走する小鉄っちゃんには気の毒であった。

しかしトンネルの合間に見える景色は絶景である。杉津の海岸線、敦賀湾を隔てて敦賀半島の山並みが眼前に迫ってくる。午前の順光に映えて申し分のないロケーションであった。


さて廃線跡も最後のピーク山中トンネルにさしかかる。今度は真っ直ぐのトンネルだが1194.5mとバカ長く、出口の灯りも豆粒のようにしか見えない。恐る恐る進入し、相変わらずの手探り状態で走るうち、ふと天井を見るとかすかに外の光が反射している。

「そうか!上を見て走ればいいのか。見てみい、外の光が写ってる」
「オヤジ!!さっきからソウいっとるのに今頃気づいたんか。」
「それから止まるときはちゃんと止まるって言ってね。急に止まられるとぶつかってまうで」
オヤジの権威まるつぶれである(--;)
しかも出口付近では「車が来たで、はよ出よ」と後ろからアタックをかけられ置いてきぼりを食ってしまう始末でどちらが引率者やらわからないような状態になってしまった。
ほうほうの体で山中トンネルを離脱すると山中峠の信号所、標高約250mの最高地点だ。引き上げ線のトンネルらしきものもある。また律令時代の官道北陸道はここ山中峠を越えていったそうだ。時刻は11時半。後は25パーミルの下りだけだが向かい風が強く、大してスピードも上がらない。しかしレールで作った落石除けの遺構やスィッチバックも健在でとても楽しい。
そして廃線跡は麓の大桐の集落の真ん中を築堤状に分断して走っている。ところどころに架かっている橋は勿論ガーダー橋。集落のはずれには大桐駅跡の記念碑とホームの残骸もある。ふたたび北陸道と交差すると北陸トンネルの今庄側出口に達する。日陰でなので寒かったけれど昼飯を食べながらの列車ウォッチも面白いと昼食にした。小鉄っちゃんは大喜びでフィルムを消費していた。あとはサイクリングターミナル前のD−51でも写そうかな?
               

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