黒地峠  305m (2004.2.21)   地図

美濃市上河和−郡上市美並町黒地
美濃市上河和から郡上市美並町黒地へ越える郡上街道脇街道の峠である。長良川左岸は上河和から上流が険しい谷になっている。そこで郡上街道の脇街道は河戸谷からなだらかな谷間を登る。

まず河戸谷の入り口から早松神社前まで行く。その先の遠藤孝市氏宅前を直進すると谷間へ入る前に石碑が建っている。
早松神社



1m弱の石碑には「右山みち 左郡上道」と刻まれている。表示どおり左の山道へ入る。山中の小さな水路沿いに道は緩やかに登っていく。
分岐を左へ(15:40) 石碑


ジメジメした林を過ぎると、宅地造成?現場に出てしまった。谷底平野といっても良いような広さがあるため業者に目を付けられたようだ。それでも造成地の端に街道は申し訳なさそうに残っていた。冬の弱い陽が精一杯照りつける造成地を横目にゴトゴト自転車を転がした。
エントランス 宅地造成現場 造成地横の旧街道



造成地が終わり、本格的に峠道を登っていく。傾斜は相変わらず緩やかである。雑木林と杉の混合林といった風合いである。時折現れる倒木を越えながら眈々と登る。
混合林?


高度が上がるにつれ、車の騒音が聞こえてくる。東海北陸自動車道が近くを通っているのだ。中電巡視路の標識も現れ、そろそろ峠か?と思わせる。しかし、「歴史の道調査報告書」によると、入り口から峠まで2km余ということなので、1時間弱の行程か?

殆ど直線的に登ってきた道も最後に2曲がりほどスイッチバックをすると峠に到着した。報告書にあるとおり元禄年間建立という立派なお地蔵さんが出迎えてくれた。
(16:21) 峠のお地蔵さん



峠の延長上には送電線があって、案外開けた明るい峠であった。

美並町側は美濃市側とはうってかわって急斜面である。ジグザグのトラバースを繰り返して下りていくが、道の崩壊や木々の侵入で先が見通せない。おまけに日差しも陰ってきたため、思い切って引き返すことにした。峠まで戻って上河和の集落まで戻ると17時を過ぎていた。

行けなかった立花の薬師坂を皮切りに、行くとこ行くとこ全て郡上八幡側が廃道化していた。国道ができてしまうと、裏側は全く省みられなくなってしまうのか?と愕然とさせられる歴史の結果だった。
峠のお地蔵さん



後日(4月3日)本街道の峠を攻めた後、帰りに長良川左岸の脇街道を走ってみた。峠から辿れなかった黒地側の登り口を確認したかったからだ。

黒地の集落を過ぎた辺りにそれはあった。「江戸時代東街道入り口 現在地より 美濃市上河和まで約2500m」と書いてある。看板の先に道らしきものは確認できなかった。2月21日のアタック時に無理やり降りないで正解だったようだ。
「江戸時代東街道入り口」の看板