倶利伽羅峠(くりからとうげ) 260m (2000.12.2)

富山県小矢部市石坂−石川県河北郡津幡町倶利伽羅
源平合戦のおり木曽義仲が平氏の大軍に松明を角につけた牛を先頭に夜襲をかけて大勝利したという「礪波山の合戦・倶利伽羅峠の戦い」であまりにも有名な峠である。

旧北陸道が通っていた峠でもあるので源平ラインと名付けられた道を登る。麓付近には巴塚と葵塚がある。義仲の愛妾、巴御前と葵御前は2人とも大力無双で礪波山の合戦でも奮戦した。葵はここで討ち死にしてこの地に埋葬された。
巴御前は義仲の死後も生き、最後は富山県福光にて没したため葵塚のそばに巴塚があるという。また万葉の頃、越中の国司になった大伴家持の歌碑も中腹にあった。猿ヶ馬場古戦場跡には合戦を偲んだ芭蕉の句碑や火牛の像などが建ち並んで随分賑やかである。

肝心な(旧道の)峠は車道の間100mほどのダートにあった。他のモニュメントが賑々しいのに峠の碑だけはない。倶利伽羅の文字があるのは峠から少し下った所にある「手向神社」と倶利伽羅不動尊を祀った「倶利伽羅不動寺」くらいであった。