越切峠(腰切峠、越切坂、腰切坂  40m (2007.2.10) 地図

岐阜県山県市(やまがたし)伊自良(いじら)大森通元寺(つうげんじ)山県市梅原高田
岐阜県山県市伊自良大森と梅原高田の間にある小さな峠である。ここは峠よりも濃尾地震でできた越切坂断層(※)の方が有名である(^^;)

伊自良大森の県道91号線の東側に写真の看板がある。


(※)参考サイト
『濃尾地震と根尾谷断層』越切峠の写真
根尾谷断層・山県郡伊自良村
越切峠の断層
越切峠の断層看板



地震の看板の示す先には小さな山の鞍部は見えるものの手前の土地と高低差がない。試しに近づいてみると、切り通しにはなっていても高低差が1〜2mであるから峠とは言い難く思える。切り通しは手前の段と二段構えになっている(実はこれが断層なのだそうだが・・・)。切り通しの右側には謎の箱(ラドン観測施設らしい)があった。

切り通しの手前から山に沿って道があった。その先に断層の説明板があった。何かわかりにくい絵だなあ?
峠遠景 手前の段との境が断層。右の箱はラドン観測施設
車道の峠 越切坂断層の説明板と旧道への道
越切坂断層の説明板



でも、その先にある大森尾脇2号古墳の道へ入れば、何かわかりそうだ・・・山道へ入るとすぐに古墳らしき石室が口を開けていた。そして古墳の先には峠らしき鞍部があった。断層サイトによると、この鞍部あたりもずれたり落ち込んだりしてるらしい。
大森尾脇2号古墳の道 古墳?
古墳の先に峠? ほんとに峠?
峠?の鞍部も断層になってるらしい



しかぁし、鞍部を出たところに、なんと!馬頭観音さんが鎮座していた。これには正直ビックリした。
しかも銘は天保壬寅孟秋(てんぽうじんいんもうしゅう)。これは天保13年(1847年)の旧暦文月すなわち7月に造ったということらしい。明治になる21年も前のことだ。それから44年経った明治24年(1891年)10月に濃尾地震が発生した。マグニチュード8.0の直下型だったから、この馬頭さんも安泰ではおられなかっただろう。

それよりも何よりも、峠おやじ的には馬頭観音さんがいる以上、ここが本来の峠道に違いないと確信できた。高度差のない車道を見ただけでは峠と思えなかったが、これで大手を振ってコレクションに加えることができる\(^o^)/
ば・ば・ば 馬頭さんや!
しかも天保年間!!!



峠道は馬頭さんの前からダブルトラックとなって林の外へ向かっていた。馬頭さんの反対側には椎茸の種木があった。こういう山仕事のためにここまでは車が入ってるわけだ。

林を出たところから草付き道はそのまま山際に沿って続いていた。これが旧道そのものかどうかはわからないが、工場のような建物の前で舗装道になり、探索も終わった。
峠道 椎茸栽培
峠の林から出た所 舗装道になる