風越峠 123m (2010.10.24) 地図

宮城県石巻市渡波(わたのは)-石巻市折浜(おりのはま)
宮城県石巻市渡波折浜の間にある県道2号・石巻鮎川線の旧道峠である。

石巻市から中心部から牡鹿半島に入った。しかし風越トンネルのどちら側から登るのが適当かわからなかったが、行ってみると半島突端(折浜)側に車を止めておく場所があったため中心部方面へ戻る形でアタックした。
風越トンネルを出た折浜側に車をデポ(7:48)



車を置いた場所は「ふれあい交流広場」だった所で今は閉鎖されている。トンネルの上に以前の県道が残っているため登っていく。トンネルを越えた辺りに黄色のゲートがあって車などは進入できなくしてある。ゲートの下に大きなコンクリートブロックが置かれ。けっこう厳重に封鎖されている。私もゲートの横っちょから自転車とともに入るのに少し苦労したほどだった。

風越トンネルのパネル トンネル上にゲート(7:50)
ゲートの横っちょから入った(7:51)



ゲートを越えても2車線道だが、車はいないし、木の葉の散り敷きが堆積して廃クラスな雰囲気である。海側を見ると半島突端部と石巻湾(折浜湾)が望める。ここが内湾であることが歴史に登場する理由になるのだが、それは後述する。

廃クラスな道(7:55) 半島突端側と石巻湾を望む(7:56)



そうして道を登っていくと峠に到着。峠には何やら石碑が立っている。ひとつは金華山道路改修工事の碑で、もうひとつは漢文だらけというか見にくくて何だかわからなかった。というより、ここは石碑ではなく、その奥にある白い案内標識の方が重要である。

(折浜側から)(8:00) (渡波側から)
峠の石碑



そこには「榎本武揚艦隊集結の地」と書いてある。

榎本武揚といえば明治維新の際に幕府艦隊を率いて北海道へ逃れ、五稜郭に立て籠もった人物である。標識の案内を抜粋すると

『慶応4年1868年旧幕府海軍「開陽」以下6隻の艦隊を引きつれ、江戸湾を進発した海軍総督榎本武揚は仙台から函館への途中、物資補給の目的もあって同年10月11日折浜湾に寄港集結した。石巻で徴収された物資は荷車数十台に及び渡波から船で運ばれたといわれ、往事の情景がしのばれる。』

そこには新撰組生き残りの沖田総司らもいただろうし、そういうポピュラーな名前が出てくると身近な感じがしてくるから不思議である。

榎本武揚艦隊集結の地


当時の峠道は県道のように山腹をトラバースせず、この標識の横からまっすぐ折浜へ下りていったそうだ。



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