飼坂峠(かいさかとうげ) 490m (2002.3.23) コレクションNo.923 地図

三重県美杉村上多気(かみたげ)−美杉村奥津(おきつ)
JR名松線の終点、奥津から上多気へと越える峠で、現在は国道368号線のトンネルが開通している。しかし江戸時代の昔は「お伊勢まいりしてこわいとこどこか、飼坂、櫃坂、鞍取坂、つるの渡しか宮川か」と俗謡に歌われているほど伊勢本街道随一の酷い場所であったらしい。
車のデポ地点として利用した道の駅「美杉」までは、JR名松線沿いに奥津から飼坂トンネルでアクセスした。夜立ちだったので暗い中ではトンネルをアップダウンしたことしかわからなかった。

夜が明けると、強風激しく、時折小雨のぱらつくご機嫌?なコンディションだった。道の駅から西方を眺むれば、これから登る飼坂の山が国道の延びた先にドドーンと構えている(--;)
映画「もののけ姫」に出てきた大鹿を連想させる 一旦は国道を走りだした。しかし旧道が併走していることに気づき、上多気(たげ)の集落まで戻った。大橋のたもとに「すぐいせ道」と書かれた石碑や常夜燈、昔の旅籠などがある。家々も格子が入ったり、土蔵のような造りで街道情緒たっぷりだ。
しかもここ上多気は南朝方の立て役者、北畠親房が北朝と戦うのに便利ということで北畠氏が根城にしたようで、その館跡といわれる北畠神社まであるのだ。
さて、あらためて峠へ登り出す(8:30)。峠まで1.4kmだそうだ。最後の民家横から道は国道脇の崖道シングルトラックになる。
しかしすぐ国道から分岐してきたダブルトラックと合流する。そしていよいよ国道とは別の谷へと入っていく。

少し登ると「伊勢本街道茶屋」と書かれた小屋掛けがあった。ここから道はまたシングルトラックになった。
道はよく整備されていて気持ちよく押していける。北畠氏の水場とされる「ほととぎすの泉」が崖っぷちにあった。暑い季節なら地獄に仏といった場所であろう。
        ほととぎすの泉付近
それにしても良く踏み込まれ、真ん中が撓んだ美しいうとう道である。何枚写真を撮っても撮り飽きることがない。嬉しいことに階段は石段が1ヶ所あっただけだ。

登っていくうち木々の間から一度下界が垣間見えた。しかし情報誌の写真ほどではない。
そうこうするうち峠に到着した(9:30)。鞍取峠や山粕峠に似た杉林の中の峠である。1本棒に峠の名札をつけた標柱や伊勢本街道の案内看板とか東屋があり、東屋の横には峠の茶屋跡の看板もあった。
もの凄い強風の中、ここから50mほど尾根を辿ると展望台があった。情報誌の写真はここから撮ったものらしい。でも逆光だったし、イマイチ写りは良くなかった。
峠まで戻り、奥津側へ下り出す。こちらもそこそこ整備されている。MTBなら乗って乗れないことはないかもしれない。でも転けたらアホらしいので殆ど押し下った。

奥津側には昔峠道に出没する夜盗に身代わりに切られたという腰切地蔵とか首切地蔵がある。間もなく出てきた腰切地蔵は小さくて、こんなもんかという感じだった。
なおも下るとトンネル脇へポッと出た。新旧の道を対比しながらここからは国道かいな?と思っていると、旧街道はそこから国道を横断し、谷川まで降りた。そして国道と谷川に挟まれた谷底を下っていく。まだ道はダートのままだ。
ダートのシングルトラックもようやく終わり、川を渡ると舗装路になった。すると首切地蔵が現われた。こちらは腰切峠に較べると大きめで存在感もあった。
奥津に入る前の集落、谷口には上多気と同様、常夜燈があった。そしてJR名松線の線路と出会うと、雲出川沿いに奥津まではすぐである。
JR名松線の終点である奥津も伊勢本街道の宿場町である。ここにも時代に取り残されたような?レトロで落ち着いた空間があった。