甚平坂(じんぺいざか) 337m (2005.4.10) 地図

岐阜県恵那市大井町−中津川市茄子川(なすびがわ)
岐阜県恵那市大井町と中津川市茄子川の間にある中山道の小峠である。現在県道410号線になっている。

恵那市は江戸時代に中山道大井宿として栄えた。天保14年(1843年)の記録によると本陣、脇本陣各1、旅籠 41軒があり、美濃中山道ではもっとも賑わった宿とされている。また道が直角に曲がる桝形も宿場内に6つ設けてある。
中山道大井宿



大井宿の東外れ、菱屋資料館の横に岩村街道との分岐がある。分岐を過ぎると枡形があって本陣が残っている。枡形を曲がり、その先でまた角を曲がる。
岩村街道分岐 大井宿本陣跡と枡形



枡形を曲がり、横町川を渡ると五妙坂にさしかかる。坂の途中に高札場がある。
横町川を渡ると五妙坂 五妙坂の大井宿高札場



坂を登り切ると、明知鉄道のガードがある。日本一急傾斜の駅がある鉄道だ。ガードの先はまた坂になっている。寺坂と記した道標の横に種々の石仏。上宿の石仏群だ。
明知鉄道のガード 寺坂(上宿石仏群)
県道401号410号線に出たところ



県道に出て、410号線を辿ると、関戸一里塚跡に達する。江戸日本橋より87里とのこと・・・
そこから少し行ったところに甚平神社があり、ここが峠の頂上である。
関戸一里塚跡 甚平坂頂上(左に甚平神社)


甚平神社から先は下り道。その下りは左カーブでカーブの内側は甚平坂公園である。東屋(トイレ)にベンチがある。 この公園の隣には,甚平の犬を葬ったと伝えられる犬塚,道路を挟んだ向かいには,甚平の馬を葬ったと伝えられる馬塚がある。
甚平神社 甚平坂公園
さて、この甚平坂の甚平はというと・・・
根津甚平是行(ねづじんぺいこれゆき)は源頼朝の家人で、信濃国根津(根津)の領主であった。彼は武勇秀でていたが,40歳を過ぎても子ができなかった。大井の長興寺(現長国寺)に子宝が授かる観音様があることを聞き、長興寺に七夜に亘ってお参りをしたところ,嫡子小次郎惟清を授かった。そこで甚平は,長興寺に仏像を寄進した。

別の話として、信濃国桔梗ヶ原に八重の羽をもつ雉が住んでいた。この怪鳥がひとたび羽ばたくと災いが巻き起こり多くの里人を死に至らしめた。そこで根津甚平は愛馬にまたがり、屈強の犬と鷹をつれて怪鳥退治に出かけた。さしもの怪鳥も甚平の武勇にはかなわず西へと逃げた。甚平は馬でこれを追い、大井の東の坂で馬は倒れた。しかし甚平は犬と鷹を引き連れて怪鳥を追い、日吉でこれを退治したが、ここで犬も力尽きてしまった。里人たちが,甚平の馬と犬を埋葬したのが,馬塚と犬塚であり,それ以後この坂を甚平坂と呼ぶようになったという。甚平神社がその根津甚平由来の神社である。高台の上に小さな祠があって、祠の後ろにある宝篋印塔が根津甚平の墓と伝えられている。