地獄越(じごくごえ) 276m (2002.11.21) 2.5万図

滋賀県木之本町飯浦−西浅井町塩津浜
地獄越とはこれまた大仰なネーミングだ。

塩津側にある案内板によると「賤ヶ岳の合戦から退却する柴田勝家の軍勢がこの急坂を地獄のような思いで苦労しながら越えたため地獄坂とよばれるようになった。そして塩津の平地へ出て、娑婆へ出たような気持ちで一息ついた辺りが娑婆という名がついた」そうだ。

しかし我々は国土地理院を信用したばかりにいつわりの地獄を味わうことになってしまった(~_~)
   左の鞍部が地獄越 (9:00)


飯浦から正面に見える送電線が通っている鞍部が峠に違いないと我々はアタックを開始した。麓にはお地蔵さん?の祠もあったし、疑いは微塵も持っていなかった。ところが登り口には日本電気硝子の保養施設のようなものが建っていて、脇には古道には似つかわしくない階段が付いていた。

参考書の「低山ワールドを楽しむ」は反対側の塩津側から越えているため記述が参考にならないのでとにかく登ってみることにした。しかし坂が急すぎる。登っていくと送電線への巡視道であることが明らかになってきた。

そのまま行っても尾根に取り付けそうにないので山を少しトラバースすると石塁で囲まれた道があったので再アタック開始。こちらも相当な急坂であったが、登り付いた所は峠と思しき鉄塔よりひとつ下にあたる鉄塔だった。
       アタック開始        ひたすら担ぐ


指呼の所に峠の鉄塔はあるのに山林が邪魔して辿り着けない。尾根まで上がれば縦走路があることはわかっている。しかし尾根まで上がる道もない。それからも谷筋を登る道など探したが、ルートが発見できず、塩津側からアタックしようということで撤退した。
   左側が峠。右下の鉄塔まで行って撤退(ToT)


塩津側へ行くのにトンネルを回避し、旧国道のドライブイン前を通り過ぎると看板らしきものがあった。ドライブインの裏に回ってみると、はたせるかな、こんな所に正式な登り口があった。
           正しい登り口 (11:00)


騙された登り口に較べてもその明瞭性は段違いである。こんな道なら地獄でも何でもない。しかしあの山中の探索活動は何と2時間もかかった。山用語でアルバイトとは苦しい行程とか余分な動きを意味するらしいが、この2時間は大いなるアルバイトだった(ー_ー)

さて、アルバイトの山道に較べりゃ安楽越(こういう名前の峠は実は三重県にある)ともいえるこの峠道。道は広いし、傾斜は程々だし、気持ちよく押し担ぎができた。
     地獄越?の峠道

地獄越とはとても言えない峠道は30分で峠に到着した。アルバイトの山道で2時間かかったことを思えば天国越である。ハイカーが通る道はほんまに天国だ。

峠にはお地蔵さんがいて琵琶湖を見下ろしている。眺望が素晴らしく、ベンチでお昼をとった。
地獄越のお地蔵さん
                地獄越の峠 (11:30)

塩津側の道もつづら折れなれど、MTBの乗車率は70%くらいの感覚だった。やはり天国である。麓付近の「地獄坂」の案内板が空々しく思えるほどだった。

しかしあの国土地理院の地図の謎は?飯浦側の山道は尾根道になっていた。しかし飯浦の集落から見ると外れた地点に道が付いている。ひょっとしたら本来の道は我々が苦労したあの道だったのかもしれない。

本来の道が廃道になって後世に遊歩道として楽な道が整備されることだってあり得る話だ。
        琵琶湖の眺望