板堂峠(いたどうとうげ)  540m (2006.10.5) 地図

山口県山口市上宇野令−萩市佐々並
山口県山口市上宇野令と萩市佐々並の間にある県道62号山口旭線にある峠で、長州藩の藩都萩と山陽とを結ぶ※萩往還のなかで最も険しい峠であった。

※萩往還
萩往還は萩城を出発し、旭村・山口市を通り、防府市の港三田尻までをほぼ直線状に結ぶ約53qの街道である。1604年に参勤交代道「お成り道」として開かれ、山陰と山陽を結ぶ道として庶民にも重要な交通路となっていった防長両国の正保道帳(しょうほうどうちょう)によると、山陽道・石州街道・萩往還が「大道」に格づけられていた。
麓の天花付近



山口市天花から登り出した。いきなり急坂になる。一の坂川にできた一の坂ダムに登るせいだ。ダムまで上がると勾配は緩くなり、天花畑の集落を越えるとまた勾配が急になる。
一の坂ダム 天花畑



道は1.5車線。勾配もあるけれど、ローディさんでも登る道だ。頂上近くに石畳出現。きれいなのはいいが、あまりにきれいすぎるのもリアリティがなくていけない(ー_ー)

それでも一の坂御建場跡(いちのさかおたてばあと)六軒茶屋跡とか旧跡が残されている。
作ったような(^^;)石畳
萩往還の石碑 一の坂御建場跡



車道の峠は511m。切り開かれて何やらきれいな施設が作られている。「21世紀の森」?通行させてもらっている我々に必要なのはトイレだけなんだがなあ・・・税金の使い道は良く検討してほしいものだ。
車道の峠、21世紀の森?



車道の峠のカーブを曲がると切り通しがあった。左の階段を登ると旧峠へ。右の階段を登ると国境の碑がある。両方へ行ってみるとわかるのだが、この切り通しの間は昔はつながっていて、旧峠から国境の碑へ高さをあまり変えずにつながっていたようなのだ。
(左の階段は旧峠へ) 峠の切り通し (右の階段は国境の碑へ)



旧峠へ登ってみる。階段が終わると砂利を敷かれた旧峠に到着する。石積みと板で土留めをしているのが自然のような不自然のような不思議な感覚である。峠直下で中国自然歩道が分岐していた。
旧峠
中国自然歩道と分岐する



切り通しに戻り、右側へ登ってみる。国境の碑だ。「北 長門國阿武郡  南 周防國吉敷郡」と彫ってある。
国境の碑



峠から下っていくと、夏木原に吉田松陰が江戸幕府により東送された際に感懐を詠んだという漢詩が刻まれていた。

萩往還はこの後、日南瀬峠に向かった。
吉田松陰先生と夏木原の碑