飯浦越(はんのうらごえ、あちら坂 285m (2002.11.21) 地図

滋賀県余呉町−木之本町飯浦
余呉湖の西岸と琵琶湖岸の飯浦を結ぶ峠道である。

余呉湖の東岸には、その昔天女が舞い降り衣を掛けたといわれる衣掛柳が残っている。衣掛柳から見る余呉湖は朝靄でかすみ、湖岸に参集した人馬の鼻息が聞こえてくるようである。

余呉駅で本日の同行者keroさんとoookaさんに合流した。
          余呉湖畔の衣掛柳

ルートとしては賤ヶ岳山頂を経由し、賤ヶ岳の戦いをなぞる尾根道縦走コースと正直に峠道をトレースする案が考えられた。我々は正直案を選択した。

まずは余呉駅から余呉湖南岸を回り込み、西岸の国民宿舎余呉湖荘まで行く。初冬の湖面は鈍く光り、我々の走行に驚いた鴨達の羽音が静かな湖面をさざめかせる。
     余呉湖へ走る。正面の鞍部が飯浦越

国民宿舎横まで来ると「賤ヶ岳遊歩道、飯浦越の切通し」の看板が立ててある。この道筋は賤ヶ岳合戦当時もっとも激しく戦われたところで中でも石田三成や大谷刑部ら秀吉十四人衆の戦で有名だそうである。
      モデルはkeroさん(8:05)


峠道はダートの山道であるが、よく踏みしめられており、落ち葉の散り敷く中、階段やクネクネの葛折りを登っていった。
        oookaさんとkeroさん        正当派担ぎのkeroさん


峠には何個か案内板があって南東からは賤ヶ岳山頂からの道、北西からは地獄越への尾根道縦走路が下りてきている。
              峠直下             飯浦越 (8:30)

峠から飯浦側へ下りていくと、通行によってへこんだ道筋や石畳も見られ、よく使われた道のようである。落ち葉が深く、石畳や浮き石が隠れているのでMTBの乗車率は30%程度だった。
           へこんだ道筋

麓の集落、飯浦まで下りてくると石塁の端に石仏が2体あり、集落のはずれの結界のような気がした。

飯越なる名前は当たり前すぎるが、「あちら坂」はなんの意味かわからない。おそらく飯浦側にある地獄坂との対比で黄泉の国との境にある『よもつひらさか』つまり「あちらの世界」を意識したネーミングのように思われる。
             飯浦(8:45)