瞽女ヶ峠(ごぜがとうげ) 356m (2007.4.21) 地図

愛媛県八幡浜市保内町(ほないちょう)宮内(みやうち)−保内町喜木津(ききつ)
愛媛県八幡浜市保内町宮内と喜木津の間にある国道378号線の旧道峠である。

その前に瞽女とは何ぞや?
瞽女とは盲目の女性旅芸人で、三味線を携えて村々を回り、門づけ歌などの「瞽女唄」を披露して暮らしを立てていた女性集団である。日本映画史上、盲目で放浪の主人公といえば男性は「座頭市」。女性は「はなれ瞽女おりん」だろうなあ。

瞽女といえば越後が主流だったというが、ここ四国でその名が付いた峠があるとは思いもよらなかった・・・
宮内側から峠全景



現国道の瞽女トンネル(宮内側)

トンネル入り口を背にした地点で旧国道は
スイッチバックして登る。
振り返ると、トンネル地点からスイッチバックしてるのがわかる。 さらに登った地点より



瞽女ヶ峠(ごぜがとうげ)中腹より
トンネルと旧道分岐、これから行く先も見える。



瞽女ヶ峠(ごぜがとうげ)中腹より
少し行って振り返ると登ってきた道、国道、八幡浜の町が見える。



ドンドン登る 平家谷付近
平家谷自然林道標 平家谷全景



【平家伝説に由来する地名】

宮内川上流部は平家谷とネーミングされている。

壇ノ浦の合戦(1185年)で破れた平家の侍が、この地に逃れてきて隠れ住んでいた(平家敗走ルートは「壇ノ浦→伊方越(伊方町瀬戸内海側)→平家谷」だそうだ)

彼らは瞽女に化けた仲間をこの峠に置いて追っ手を見張らせたという。これが峠瞽女の由来だと伝えられている。

三年も経ったある日、風になびいた白旗を発見した。観念した落人たちは若者二人を残して自害して果てた。しかし源氏の白旗だと思ったのは、白鷺の群れが飛んでいるのを見誤ったものだった。

残った若者二人は山を下りて村人と住むようになった。その二人の家を村の人は2軒の家だから両家と呼ぶようになったという。 それからというもの、この辺りでは、白色がタブーとなり、正月の餅も白い餅は遠慮されるという。

現在の両家集落には、平家の子孫がいるといわれている。 また異境の地での生活の慰め「琵琶(びわ)」、「鼓緒(つづみお)」をひいたことに因んで、枇杷谷鼓尾などの地名が付けられたという。

平家谷周辺地図



瞽女ヶ峠(ごぜがとうげ)
そのまま登っていくと石碑などがある瞽女ヶ峠に着いた。



峠の切り通しを抜けると海が見えた。
沖には平群島や八島、周防大島などの防予諸島が浮かんでいる。



斜面をトラバースしながら下っていくと、喜木津の港が見えた。



ヘアピンカーブを曲がる。カーブの真ん中に道路改修記念碑が建ててあった。



ドンドン降りていき、やっと国道が見えて合流する。
国道との合流地点。ただし見えているトンネルは喜木津トンネルである。




では、宮内側で見た瞽女トンネルはというと、喜木津トンネルを抜けた先、つまり峠方向に戻ったところにあった。

宮内側がトンネル名を石碑に彫っているのに対し、喜木津側はトンネル本体に名前を貼り付けている。
瞽女トンネルの喜木津側入り口

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