中央構造線を行く (99.5.4 NIFTY掲載分) 2000.6.19更新


中央構造線とは

ご存じのように長野県諏訪湖付近から熊本県八代付近まで西南日本の中軸部を縦断して走る日本列島第1級の断層線である。この中央構造線では断層の左右の地質が違い、日本列島の成り立ちを調べる手かがりになっていると言われている。

私の住む中部地方では諏訪湖付近(杖突峠?)から赤石山脈の西縁に平行して高遠から分杭峠・地蔵峠・青崩峠を経て水窪を通り、ここから次第に西へ曲がって豊川沿いに渥美半島へというラインになっているそうだ。

さて、私がターゲットとした所はこの地蔵峠・青崩峠・水窪付近である。この前後は今までに走っているので中部地方ではこれが最後の区間なのだ。

  中央構造線博物館

5月2日

スタートは大鹿村の落合。15年以上前に高遠−分杭峠ラインをやって以来だ。当時はランドナーだったが今回は主力機のMTB改パスハンターだ。時刻は8時。充分時間はある。小渋川を渡っているトラス橋から上流を見ると雪をかぶった南アルプスが綺麗に見えた。うん、今日は快晴だ。

そして橋を渡りきった所に何と「中央構造線博物館」の看板が!博物館はほんの50mくらいの下流の川端にある。残念ながら開館までには早すぎたため外の見物だけだったが、立て看板に記された対岸の山と博物館付近の中央構造線ラインを見比べていると頭の中は「中央構造線」一色に塗り替えられてしまった。しかしこの道は防火の神様秋葉神社に繋がる秋葉街道でもあるのだ。
再び走り始めるとMTBの一団に追いつく。結構大きなリュックを背負った初老の方々だ。言葉をかわすと宿から出発したばかりという。できれば青崩峠とか行けるところまで行くとのこと。お疲れさまという感じで別れた。

次にランドナー@キャンピング装備のふたりに追いつく。30前後かな?これまたお疲れさまという感じで別れる。その辺りに「安康の露岩」とか断層面が地表に出ているらしい所があるが青木川まで下りていってもよくわからない。地蔵峠1314mへはあと少しの登りで到達した。

地蔵峠というだけあって道の裏手一段高いところに祠があってお地蔵さんがいる。お地蔵さんの場所が旧道の峠なのだろう。STはお地蔵さんの前でカーブして国道開削の切り通しによってぶったぎられていた。
観察をしているうちにランドナーのふたりも到着。彼らは長年の懸案「しらびそ」に行くそうだ。それを聞いて谷筋へ下りようかと思っていた私も急遽「しらびそ」に行こうと思った。今までに630m登っているところに580mもよけいに登るわけだから心配ではあったが、時刻が10時20分なので時間的には大丈夫だろう。

勾配は大したことはなかった。ずっと舗装だし、しらびそ峠では雪をかぶった赤石岳や聖岳が間近に見られて感動ものだった。
最高点1900mのしらびそ山荘付近には人なつっこいニホンカモシカが出現し、カメラを向けても逃げないどころか自分から近づいてきて私の顔の前50cmほどで舌を出すという第一種超接近遭遇を経験した。また麓の遠山郷には森林鉄道があったらしく林鉄の機関車・客車・貨車セットが山荘の庭に展示してあった。丁度お昼時になっていた。

そのまま遠山郷へ向けて南アルプスエコーラインを下りだすとすぐダートが始まった。4kmほど下りたらパンク続出(;_;)。一番畏れていた事態だ。タイヤは普段26X1.5のロードランナーにしているのだが、今回は試験的に26X1.25のパセラ(オープンサイド)を履いてきたものだから堪らない。
スペアチューブも直ぐパンクし、おまけに英式バルブのインフレーターでは空気がしっかり入らない。低圧のままダートを下るのは危険と判断し、とりあえず山荘でフロアポンプがないか聞くことにして今来た4kmを引っぱって戻った。 しかし山荘にもポンプはなく、地蔵峠からのランドナー氏2台もフレンチバルブなので泣く泣く秋葉街道の谷筋へと下った。しかし空気圧が少ないままなので細心の注意を払い、騙し騙し乗ったので疲れてしまった。

矢筈トンネル出口の西ノ島の民家でフロアポンプを借り、それこそパンパンに空気を入れてやっと安心ができた。それからは一度もパンクしなかったことを考えると「中央構造線」と唱いながら「しらびそ」ラインへ脱線したことを道の神様がお怒りになって当初のラインに戻れと啓示されたような感じがしたものだ。大げさかな(^^ゞ


5月3日

南信濃村尾之島をスタート。目の前にある兵越峠(ひょーごえ)1140mを無視できず先に往復してから青崩峠に向かった。青崩峠1082mは静岡県との境にあって「中央構造線」の断層運動のせいで地質が脆く文字通り青い岩が崩れ落ちる秋葉街道最大の難所であった。あまりの不安定ぶりに武田信玄も三河攻略に隣の兵越峠を使った為この名がついたと言われる。
青崩峠のアプローチは谷筋なのに時々急坂が現れる。ダートになった途端、車道は終わり、担ぎ押しの登山道が左の山へ登っていく。道は整備されており劇坂もない。階段さえなければとても良い道なのだが 押しと担ぎを繰り返すこと30分弱、熊伏山の大崩壊を隣に見て峠へ到着する。

石仏や碑・看板の多さが目に付く。「秋葉街道」「塩の道」というのもあった。峠からは信州側・遠州側両方とも眺めが良い。「中央構造線」で脆くなった所を浸食したから谷が深く発達しているからであろうか?
遠州側へ下りはじめるとすぐのところに林道が来ていた。しかし石畳になっている旧道を辿っていっても15分とは違わないだろう。広場からプレーキングでリムが熱くなるほどの急坂を下りて草木トンネル出合いまで行けば水窪(みさくぼ)までは案外近い。
秋葉街道ならばそのまま水窪川沿いに下りていけば良いのだが地図読みしていると小さな峠2つが興味を引いたのとライン的に「中央構造線」に乗っかるような気がして水窪のはずれ城西から佐久間へと道をとった。
2つの峠の名とはホウジ峠と二本杉峠。 ホウジ峠?ここらの名産お茶のほうじ茶からとった名前かいな?と考えながら登っていくうち峠には蕎麦屋があるとの看板。ケバくなければよいがと行ってみると民俗資料館のような建物でおまけに佐久間町の「中央構造線」の看板も建っている。

何でも断層運動によって破砕され、弱くなった部分が風化浸食されてできた断層谷なんだそうで断層粘土とか破砕帯なんぞと書いてあって地学の授業のような所であった。なおホウジ峠は北条峠580mと書くらしい(結局意味不明)。
ついでに二本杉峠は地形上の峠ではなく昔の人(武田信玄とか徳川家康だとからしい)が弁当を食べた時の箸を地面に突き立てたら根付いて二本の杉になったんだって。愛知県の伊勢神峠にも八百比丘尼が持っていた杖を突き立てたら根付いて大杉になってしまったという話があるのでパターンは同じやなあと笑えた。
佐久間町を臨む高台には「中央構造線」ラインの説明と「ケルンコル」の掲示板があった。断層線に生じる峠(鞍部)を指すのだそうだ。ケルンとかコルって登山用語だとばっかり思っていたので勉強になるなあ。

佐久間町へ下ってから「中央構造線」は浦川沿いに愛知県に向かう。私は昨年ルートNで豊橋−湯谷温泉−東栄までは辿っているので東栄まで行けばOKである。佐久間町内にはまた1ヶ所「断層粘土」の掲示板があった。川沿いにしては度々アップダウンがあるのが不服であったが、ジタバタ脚を回しているウチに飯田線の東栄駅に到着し、「中央構造線」の旅に区切りがついた。

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