葡萄峠 (ぶどうとうげ) 270m (2011.6.9) 地図 2.5万図

新潟県村上市葡萄


新潟県村上市葡萄にある国道7号線の旧道で、村上城下を起点にして北上し、庄内鶴岡へ通じる旧出羽街道の峠でもある。

旧出羽街道は国道の葡萄トンネルの上にある長坂峠(林道はあるが、本道は山道らしい)を越え、そのまま葡萄峠から大沢峠を越えて大沢の集落に至っている。私ゃ山道を辿るような覇気は持ち合わせてないので葡萄峠の車道だけを攻めることにした。

旧道で葡萄峠に行き、トンネルで帰ってくる作戦である。峠から下った後の国道走りを考えると朝日トンネルの北側から旧道に入るのが良さげだと思った。

葡萄峠地図のGPS軌跡 朝日トンネル北側



朝日トンネル北側出口に車をデポし、すぐ前にある分岐を入る。「矢葺明神(やぶきみょうじん)」と書かれた看板が取り付けられているため、この道で良いことが確認できる。道は1車線道でそこそこの傾斜で登っていく。上方にスイッチバックで向かうべき道が見えてくる。

トンネル前の分岐(12:28) 矢葺明神と書かれた看板あり
道は1車線(12:28) そこそこの傾斜で登っていく(12:29)



スイッチバックというより旧道との合流点に出た。ここにも矢葺明神の看板が立てられている。「災害発生のため通行止め村上市役所」の立て札もある。どこで災害が発生しているかわからないが取り敢えず進むと、確かに崖と路肩が少し崩れていた。下を見ると、国道との分岐点の真上辺りである。ということは上の写真にあった赤白の円錐形(cone、ロードコーンとかロードパイロンというらしい)のものがあったところが崩落地点にあたる。

矢葺明神の看板が立てられた合流点(12:31) 災害発生のため通行止め村上市役所」の立て札
確かにあった崖崩れと(12:33)
路肩崩壊箇所


そして少し行った先に水準点があった。219.5m地点であろう。そしてその先に分岐点が現れた。橋を渡った先に赤い鳥居が見えている。ここが看板に出ていた矢葺明神であろう。その分岐にあった道標には「ここは朝日村、葡萄」と書かれ、外された方向板には「出羽街道登り口0.7km」とか「村上市葡萄4km」や「国道(大毎方面)」などがあった。その出羽街道方面の道を見ると、ダートだった。大木にもたれかかるように立てられた案内板にも「芭蕉の歩いた出羽街道」の文字があった。一番嬉しかったのは旧出羽街道の絵地図があり、峠の名がいくつもあったことだった。

水準点(12:42) 分岐(12:46)
「ここは朝日村、葡萄」の道標(12:47) 芭蕉の歩いた出羽街道
旧出羽街道ルート案内図



そして明神川を渡ったところにある矢葺明神・漆山神社の前を行く。ここのご神体は下の境内絵地図にもある明神岩だろう。だから明神川ということになるのだろうが、しかし矢葺明神と漆山神社とふたつの名前があるのはどういう理由であろう。

明神川を渡る 矢葺明神、漆山神社(12:50)
境内絵地図



鳥居前から上の絵地図のように明神岩を巻いて登る。登るのに約2分かかった。上から見ると見事にクネクネと屈曲した道が撮れた。

明神岩下端部(12:51) 明神岩上端部(12:53)
巻いて登ってきた道



そして間もなく峠に到着した。さて峠の写真を撮ろうとしてビックリ。先月(5月)九州の「はやま峠」みたいに峠にヘビがいたのだ。とぐろを巻いていたらすぐ気づいたのに棒のように真っ直ぐになってやんの!ヘビっぽくない(--;) それに木っ端を投げつけても知らんぷり。足を踏みならして脅したらやっと踵。じゃない首を回して草むらにどいてくれた。なんでヘビが峠にいるの?ひょっとすると明神様のお使いか?ごめんなさい。バチアタリなことをしましたm(_._)m 峠は3mほど掘り下げた切り通しになっていて、両側はコンクリートブロックで固められているため、出てきたヘビもすぐには逃げられなかったようである。

葡萄峠のヘビ
葡萄峠(葡萄側)(13:01)
葡萄峠(明神側)



峠から下る。わりとすぐに合流してきた道があった。分岐点には「1.2km先明神様」の看板が立てられていた。

合流してきた道(13:05) 分岐点に看板
「1.2km先明神様」の看板



そして葡萄側にもクネクネのヘアピンカーブが3箇所あった。そのあと木々を通してスキー場が見えるようになった。ぶどうスキー場、795mの葡萄山に造られている。麓の葡萄集落が標高150mスキー場トップが650mくらいなので標高差500m弱。まあまあの規模である。

ヘアピン(13:11) ヘアピン(13:14)
ぶどうスキー場が見えた(13:15)



さらに下りていくと国道との合流点が見えてきた。合流点には葡萄除雪基地があった。国道に入ると、その先には葡萄トンネルである。それから合流点に漆山神社(矢葺明神)の解説板があった。なるほど源頼義・義家父子が余剰の矢で屋根を葺いたのか?でも、いくら戦勝祝いでも、人っこひとりいないところに社(やしろ)を作ったって意味ないじゃん。しかも大事な矢をつぶしてまで作るかなあ?絶対後世の作り話だと思うよ。

国道との合流点(13:21) 葡萄トンネル(13:23)
葡萄除雪基地(13:25)



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