赤名峠(あかな) 600m (2003.5.23) 地図 

広島県布野村(ふの)横谷−島根県赤来町(あかぎ)赤名
赤名峠は日本百名峠にあげられていて、広島県布野村(ふの)と島根県赤来町(あかぎ)を結ぶ旧出雲街道にある。

峠は現在トンネルになっていて、旧道はトンネル手前のラブホ横から入っていく。
           赤名峠の看板


日本百名峠のセレクションは多分に文学的である。その峠がどのくらい小説などの舞台になったかで決まっているようだ。峠の宝庫、信州は別としても我が岐阜県からは山本茂美の「ああ野麦峠」の野麦峠しか選ばれていないから、私はそのセレクションには相当頭に来ている。ここ赤名峠もやはりというべきか、山代巴の「荷車の歌」という大ヒット小説があるのだそうだ。

あらすじ
農家へ嫁ぎ、子供を産み、育て、姑との確執を越え、妾との同居を経て夫の死を迎えるまでの苦悩と共に生きていくセキの姿を描いたもの。赤名峠を越える荷車引きが金になった時代、夫とともに荷車を引かされたセキは荷車の立てるコロコロというやさしい音に慰められた・・・
1955年から新聞に連載され、明治中期から昭和初期の山村の暮らし、女性の生き方が農村女性の共感を呼んで、1959年には映画化された。
        ラブホ横から旧道へ入る


ラブホ横の入り口には「村道わらび野線、赤名峠から赤来町」の標柱が立ててある。しかしその標柱に気に掛かるメモが貼ってある。
「倒木で車の通り抜けはできません」(ー_ー)
            気になる標柱


道は久しぶりのダート。傾斜もその昔に荷車が引けた緩傾斜。コロコロならぬゴトゴトと自転車を走らせると、トンネルの真上に来た。昔の苦労など知らぬ車やトラックがゴーゴーと通り抜けていく。
           トンネルの真上


中腹まで来ると、布野村商工会・青年部が立てた「旧出雲街道」の標柱がある。布野村、頑張ってるやないか!
         旧出雲街道の標柱


峠はどうということもない切り通しである。広島と島根の境界には門柱とそれぞれの県の標柱が立ててあった。日本百名峠にしては随分控えめじゃない?野麦峠はもっと凄いよ。
             赤名峠


赤来町側に入って間もなく、赤名峠の歴史を書いた看板が立っていた。「赤名峠の歴史は古く、万葉の昔から出雲・備後を結ぶ幹線道路であった。江戸時代は大森銀山から銀銅を運ぶ荷駄を連ねた峠として有名」ということで「いぼ地蔵」もこのあたりにあるそうだ。私は見落とした。
           赤名峠ご案内


しかし、その後、道は大変なことになっていた。倒木と、いまどき見たこともない深い砂利がヒンピンと現れたのだ。日本百名峠がある自治体のお膝元がこんなことでいいのか?ホームページがあったら掲示板で叩いてやる・・・なんて息巻きながら下りていった。
         倒木と砂利の道


さらに下って、上赤名の麓集落まで下りると、国道へ出た。そこに「赤名峠入り口」の標柱が立っていた。

それにしても赤来町側の気合いのなさは何なんだ?その答えはインターネットの中にあった。小説「荷車の歌」の主人公セキが住む山村は布野村だった。そのモチーフとなった女性の家は赤名峠へと登っていく国道54号を少し左に入った横谷地区にあるのだそうだ。

だから布野村が気合いを入れるのはよくわかる。赤来町はどちらかというと利用されただけ。赤名峠とか百名峠といってもそれで飯は食えない。赤名地区と合併した来島地区にできた来島ダムの方が固定資産税も入るし、役に立っているのだろうなあ。
           上赤名の麓