DCC、OBラン

  (2004.2.7〜8)      更新 2004.2.11
 
 母校サイクリングクラブのOBランが行われた。
 私が卒業1年目に山中越え往復をOB会の前に
 やって以来だから、やっぱ30年近く経っている。

 今回は下六丁峠、神明峠から周山そして京見峠から
 帰ってくるという、ある意味、定番コースであった。








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OBラン集合写真
御所で集合、参加者一同



 
岐阜からは私ひとり(ではなかったのだが)だったので、京都駅まで輪行した。岐阜では朝心配してた雪が薄く積もっていたけれど、滋賀県に入ると雪は消えていたv(^^)

京都駅では駅前で自転車の組立をしてる一団がいた。もしやと尋ねると、柴田・野崎・吉田のOB諸君だった(^^;) これ幸い、一緒にBOX(部室)まで走り、呼びつけてしまった1つ下の渋谷君ともども1Fの学食で腹を満たしてから御所へ集合した。
OBの面々



伝統どおり?クラブ旗を入れての記念撮影。
しかぁし、炭谷君、お家の緊急事態の報が入り、残念ながら急遽リタイヤ。お仕置きの「猪子(いのこ)」第1号となる。

この「猪子(いのこ)」なる虐め技、いつから始まったのかわからない。クラブ誌フタワに時々登場してくるが、その実態は謎に包まれていた。この2日間でやっと謎が解けた。

それは・・・
「いーのこ、いのこ」と囃したてながら両手両足を抱えられて、放り出されるハレの儀式である。胴上げの変形とも言えるが、仕とめられた猪の四肢を棒にぶら下げて運ぶのを模した様からも虐め技であることは明白で、見事なネーミングと言わざるを得ない(^^;)
猪子(いのこ)



リタイヤの炭谷君、見送りの渋谷君達を残し、走行部隊は3班に分かれて出発。下六丁峠へ進路をとった。下六丁峠は新人歓迎ランや卒業生追い出しランに多用された思い出の場所である。アプローチの道筋はきれいにクラシック化(^^;)されていたが、愛宕山の鳥居は健在であった。

下六丁の登り下りはさすがの急勾配。でも何とか乗れた。MTB様々である。昔ながらのランドナーだったら自信ないな。
愛宕山の鳥居 保津峡



保津峡沿いから神明峠へはダラダラ登り。それでも息が上がったOBの要請で紅一点の滝澤さん、スピードを緩める。そんなわけで2・3班は合同の大集団になり、巨大なストーカーみたいだった(--;)
しかし、ちょいと休みが多すぎやしない?何かとお騒がせの喜八君がパンクしたのだった。
巨大なストーカー パンクだよ!



学生時代に当時の人気番組「木枯らし紋次郎」のエキストラのバイトをしたことがある。太秦の撮影所(現在の映画村)でカツラなどを着け、ここ神明峠までロケに来たのだ・・・それにしても喜八君、貼り直した君のチューブラタイヤ、ひどく上下動してるね。って確認すると写真のような状態になっていた。題して「シシャモタイヤ」
神明峠 シシャモタイヤ



日も西に傾く頃、ようやく周山の北にある京都ゼミナールハウスに到着した。柴田君の時代から使いだしたらしい。冷え切った心身をお風呂で暖める。鍋と酒でOBと現役の交流は一段と深まった。

部屋に引き揚げる前に学歌などを唱って気勢を上げた。最近は同志社アトムという歌と踊りをやらないことが判明。私を筆頭に昔ながらの歌と踊りの指導を・・・とやりたかったが、こちらもほとんど忘れていた。お互いの結婚式では同期生が余興のメインを務めたものだが、みな忘却の彼方で情けない(--;)

           (応援団バージョンはこちら
ゼミナールハウスへ 鍋と酒



翌日も快晴。今日は帰るだけだが、弁当ができあがるまで時間待ち。その後もゆっくりのペースで栗尾峠へ。案外骨があるのに驚きながら登り切る。
京見峠はフリーラン。思ったより勾配は緩い。峠手前の氷室分れで昼食タイムになる。
ゼミナールハウス 京見峠へ



ゼミナールハウス弁当はチラシ寿司と山菜などの豪華なもの。皆でウダウダ言いながらランチタイムを過ごす。京見峠の茶屋が空いているのを確認してから出発。峠から少し下りた所に街が一望できるポイントがある。文字通り京見峠である。東大文字が正面に見える。
ゼミナールハウス弁当 京見ポイント



京見峠茶屋は昔と変わらない佇まいで存在していた。気さくなおばちゃんが応対してくれる。いつからあるのだろう?
ここのぜんざい、お餅が白と緑の2個入ってて、とても旨そう。人のを見て甘酒組もぜんざいを再注文していた(^^ゞ
しかし、現役生、OB生もここは初体験の人が多かったようで入って正解だった。
京見峠茶屋 ぜんざい、善哉!



あとは御所へ帰るだけ。急坂をダウンヒルし、予定の14時を大きくオーバーして戻ってきた。打ち上げに永田君が「猪子」2号として御所の水路に投げ込まれ、楽しかったOBランの幕が閉じた。

久しぶりのラン。久しぶりの現役・OB合同ランは気持ちが良かった。企画してくれた事務局の杉山君、コースリーダーその他にお骨折りの現役生諸君、ありがとう。また来年もやりましょう。
「猪子」の生け贄、永田君(右) 解散




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